ラテの値段

トールカフェアメリカーノ♫

人を教えるということについて。

f:id:tall_cafe_americano:20140109022604j:plain

先日をもって8連勤が終了致しました。そして一息ついたところです。他の人たちから見たら、8日間すべてルーティーンワークのようですが、わたしとしては同じ1日なんてなかったです。その中で『人に教える』ことに関して、わたしが理解した中で整理していきたいと思います。

 

企業にとっての人材教育とは

企業とは…営利を目的として一定の計画に従って経済活動を行う経済主体(経済単位)である。社会的企業を区別するために営利企業とも言う。家計政府と並ぶ経済主体の一つ。地方公共団体が保有する企業を公企業、そうでない企業を私企業という。通常は企業といえば私企業を指す。日常用語としての「企業」は多くの場合、会社と同義だが、個人商店も企業に含まれるので、企業のほうが広い概念である。

by wikipedia

 

そもそも、企業は利益を求める者たちの集合体だ。そして知識の集合体であり、技術の集合体だ。そのためには、正しく伝えなければいけない。“知識”も“ノウハウ”も“技術”も、そして“情熱”もだ。

では、正しく伝えるのはどうすればいいのだろうか。それは、教える技術だ。

ゆとり世代 仕事 - Google 検索

Googleで検索すると、こんな記事が沢山出てくる。しかし、これはなんの為にするのか。そう、企業の利益を追求するためである。それがゆとり世代だろうが、誰だろうが、いくつの年齢の人間だろうが関係はない。

教える側に技術がなければいけない。ということは、人材育成ができないということは、企業側の責任である。

 

教える技術は、そんな特別なことではない。そして、ゆとり世代というワードをGoogleで検索して出てくることではない。多くの人間が、脚色してでてくる言葉でもない。それは、教える相手を理解することだ。

 

けれども、相手を十分理解することは並大抵のことではないだろう。忍耐力がいることだろう、時間がかかることだろう。もし、あなたが教える立場にあるのなら、教えられる人間はあなたを映す鏡である。そのことは、理解して欲しい。

 

教える立場にある人間は、できる人間である。教えられる人間には何の罪もない。教える人間によって、その教えられる人間の有能、無能を決められるなら、それは、教える人間側の有能、無能だからだ。

 

それを理解していただけると、ありがたい。そして、自分への戒めにしたい。